Cheap Trickのテキスト書庫

Cheap Trickファンサイトで過去に書いた文を加筆訂正して転載します

Cheap Trick at Budokan Story~「at Budokan」が出来るまで

  1978年4月25日の福岡から、5月1日の静岡まで、1週間に亘る初来日公演を大成功のうちに終えたCheap Trick 熱狂的にファンに迎えられた武道館公演は、メンバーのインタビューや、バックステージの様子も収録した90分のライヴ・プログラム(NHK ヤング・ミュージック・ショウ)としてテレビ放映された。 また、4/27の大阪公演、4/28、4/30の東京公演は日本独自のライヴ・アルバムのリリースのために録音されることになった。

  エンジニアを担当したのは、当時CBSソニーに在籍していた鈴木智雄氏とそのスタッフ。 「僕らは、日本のスタッフがライブ録音をすることさえ知らなかったんだ。彼らは、とても有能だった」(トム・ピーターソン) 「いつも通りのライブをしただけなんだけど、日本のレーベルはグレイテスト・ヒッツの様なライブ・アルバムになるからリリースしたいと言ってきたんだ」(リック・ニールセン)

  オリジナルのアルバム(日本版LP)のブックレットには、こうクレジットされている。

*プロデューサー:ジャック・ダグラス

*エンジニア:ジェイ・メッシーナ

「クレジットはこうなっているけれど、最終的には僕らとトム・ウォーマン、ゲイリー・ラディンスキー(「Heaven Tonight」のエンジニア)がプロデュースしたと言った方が正しいね」

  インタビューでリックはこう語っているのだが、これは信憑性に欠けるところがある、というのもウォーマン本人が「僕が日本公演に帯同できず、『at Budokan』をプロデュースできなかったのは、テッド・ニュージェントの『Weekend Warriors』アルバムのプロデュースの最終作業をしていたから」と語っているからだ。また、バン・E・カルロスは「ウォーマンは武道館の音源のクオリティを良いと思わず、別のライブをライヴ・アルバム用に録音すべきだと言っていた」と発言している。

  「at Budokan」を主としてプロデュースしたのはリックとバン・Eだ。1978年のツアーの合間に、ニューヨークに飛んだ2人は、レコード・プラントで作業を行った。 「酷い音」(リック談)の録音テープを、作品としてリリースできるクオリティの"そうあるべき音"にするのは骨の折れる作業だった。止まないファンの大歓声、"I Want You To Want Me"でのファンによる"Cryin' Cryin'"の掛け声、当時、世界で他に弾き手がいなかったトム・ピーターソンの12弦ベースの音といったものを、どう処理したら良いのか分からなかったのだ。

  「『at Budokan』は"大部分がライヴ"だよ」(リック) 活力に満ちた、代表作となるアルバムを作るため、リックとバン・Eは典型的なライヴ・アルバムと異なるミックスを行った。ライブの臨場感をキープしつつ、喚声のボリュームは下げられ、ギター・パートと、バックグラウンド・ヴォーカルには手が加えられた。トムのベース・パートの大半もリミックスされることとなった。アルバムB面の5曲は、武道館でなく大阪厚生年金会館の音源が使われた。

  前述したように、「at Budokan」を基本的にプロデュースしたのはリックとバン・Eだが、アルバム10曲中5曲(B面の5曲か?)は、ジャック・ダグラスと、当時のCheap Trickのマネージャー・ケン・アダムニーによってリミックスが施されている。 当初、日本のみの限定リリースだった「at Budokan」は、輸入盤がアメリカでも好セールスを記録。

  「Dream Police」アルバムが完成に近づいていた1978年の暮れに、EPICはアメリカでの正式リリースを決定した。翌年2月にリリースされた「at Budokan」は、結果300万枚を売りあげる大ヒットアルバムに。"I Want You To Want Me" "Ain't That A Shame"と2曲の大ヒット・シングルも生まれ、Cheap Trickは一躍世界的スターの地位を確立したのである。

  ※参考資料「Reputation Is A Fragile Thing:The Story Of Cheap Trick」 「Still Competition:The Listener's Guide To Cheap Trick」他